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見張人としての使命 真の見張人と偽りの見張人 【ダビデの幕屋の回復②】

創世記6:6

それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

 

神である主ヤハウェが地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた原因はなんでしょう。

 

創世記6:5

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

 

創世記6:5には、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾いたためと記されています。そして、何故そのようになったのかの原因が、1ー4節に書かれていると考えられます。

 

創世記6:1~4節

1

さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

2

神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

3

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。

4

神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

 

~「神の子ら」と「人の娘たち」の解釈~

地上にふえた人の娘たちーカインの子孫

神の子らー堕落した御使い(セツの子孫という説もあるが、原語で見てみると)

「神の子ら」はヘブライ語で「 בְנֵי־הָֽאֱלֹהִים֙ ブネイ ハエロヒーム」(いわゆる、その神の子ら)となっています。

 

ヨブ記1:6-7、2:1-2を見ると

6

ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。

7

主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」

 

1

ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。

2

主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」

 

この「神の子ら」は 「 בְנֵי־הָֽאֱלֹהִים֙  ブネイ ハエロヒーム」で、創世記6:2と同じ。

 

また、同じヨブ記38:7では

そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、

神の子たちはみな喜び叫んだ。

 

ここでの「神の子たち」はבְּנֵ֥י אֱלֹהִֽים ブネイ エロヒームで定冠詞がついていない。堕落していない御使いたちを表しています。

 

創世記6:2の「神の子ら」「 בְנֵי־הָֽאֱלֹהִים֙ ブネイ ハエロヒーム」は、いわゆる、その神の子ら、堕落した御使いたちを表していると考えられます。

 

Ⅱペテロ2:4-6

4

神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

5

また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。

6

また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。

 

ユダの手紙6-7

6

また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。

7

また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。

 

ここから考えられることは、御使いの罪は「好色、姦淫」と言えます。

 

以上のことから想像できることは、堕落した御使い(エバを誘惑した蛇とその仲間になった御使いたち)がカインの子孫の娘たちに悪影響を及ぼし人類はネフィリム(堕ちるの意)したのではないかと思われます。

 

創世記6:4節の

神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

 

を文法上次のように訳すことも出来ます。

神の子ら(堕落した御使いたち)が人の娘たちのところに入り彼らに子どもができた(実際の子どもではなく、ヤコブ1:15「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」とあるように、この話しは霊的領域に関することで、欲によって生じた悪の力により御使い(ルシフェル)がサタンと化して地上の人々(カインの子孫)に及ぼす悪の影響力のことを言っているのではないでしょうか。これら(彼ら)御使いたちは、堕落する前は勇士(ヘブライ語で力ある者、マイティの意)であり、名のある者(ヘブライ語で栄光ある者、グローリーの意)であったが、御使いがカインの子孫の娘たちに悪影響を及ぼし人類はネフィリムしたという意味にも解釈できます。ネフィリムとはヘブライ語で「落ちた者」を表す言葉であること(巨人は七十人訳から来ている)から考えても意味が通ります。

 

その影響のために、人の悪があまりにもひどくなったために、ヤハウェは地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められ

創世記6:7

そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

 

と言わせ、洪水で全てを滅ぼしてしまおうとされたのです。

 

 

 

~ノアの時代は終末。そして今日もそうである~

 

ノアの時代がそうであったように今も、神の子ら、悪霊たちが私たちとコンタクトをとり交わりを持ち、その悪の力によりこの世に猛威を振るっている時代です。

 

Ⅰペテロ5:8

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

 

黙示録12:12

それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 

エゼキエル28章にそのことが書かれています。

2

「人の子よ。ツロの君主に言え。

神である主はこう仰せられる。

あなたは心高ぶり、『私は神だ。

海の真ん中で神の座に着いている』と言った。

あなたは自分の心を神のようにみなしたが、

あなたは人であって、神ではない。

3

あなたはダニエルよりも知恵があり、

どんな秘密もあなたに隠されていない。

4

あなたは自分の知恵と英知によって財宝を積み、

金や銀を宝物倉にたくわえた。

5

商いに多くの知恵を使って財宝をふやし、

あなたの心は、財宝で高ぶった。

 

ツロの君主とはサタンのことであり、彼はこの世で「商い」をして財産を増やしています。

「商い」とはヘブライ語で 「 רְכֻלָּה ラハラー」(貿易、交通の意)。ヨブ記で言う「地を行き巡る」と同じ意味。サタンはこの地を行き巡り終末の今の時代に活動しているのです。

 

今の時代、私たちはサタンに知られていない奥義を解き明かされています。そして、サタンのターゲットは、そのことに目覚めて絶えず祈っている教会なのです。

Ⅰコリント14:2

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。

 

異言で祈ると神の奥義を悟ることができます。つまりサタンに知られていない奥義を知ることができるのです。

 

エペソ3:19

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

 

そして、人知をはるかに越えたキリストの愛を知るのです。

 

「祈りの家」は神の幕屋、神の御霊の臨在されることろ。

ダビデの幕屋は旧約のアモス書では「仮庵」סֻכָּה スカーである。シャカーン שָׁכַן (住む)、の名詞型の変化形の一つです。シェキナー(臨在)も名詞型です。それに、前置詞ミがついて、ミシュカーン מִשְׁכָּן「幕屋」となります。ダビデの幕屋、祈りの家は絶え間ない礼拝がささげられているため、国全体がサタンの悪影響から守られたのです。サタンはその臨在の力により、私たちに対しても、教会に対しても、また、ダビデの幕屋が国家的に回復されている国においても、その力を発揮することができない。ダビデの幕屋が回復されている祈りの家のある教会では、サタンは私たちと交わることも、いや、見つけることも出来ないのです。そして、その祈り手たちの祈りには、この国と世界を救う力が、ヤハウェから与えられ委ねられているのです。

 

 

 

 

~御使いたちの役割と私たちの使命~

御使いたちの役割はダニエル書4:13、17、23に書かれています。

13

私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た。

 

17

この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。』

 

23

しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。』

 

 

御使いたちの役割は「見張り人」です。そして、私たちの使命も「見張り人」です。

終末の今の時代、堕落した御使いたちの「見張り人」とダビデの幕屋の祈りの家の「見張り人」の霊的対決が始まっています。私たちは霊的な戦いにおいて今こそ、全ての犠牲をいとわずに「祈りの家」に献身し「ダビデの幕屋」回復する時です。人間的に計画している余裕など私たちには残されていない。私たちは「異邦人の完成」と「イスラエルの救い」のために、絶え間ないとりなしの祈りをささげる「礼拝の民」として祈りの家に仕える者となりたい。

 

イザヤ56:7

わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

 

マタイ11:17

『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。

 

ルカ19:46

「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」