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異邦人の完成とイスラエルの救いと再臨のために 【ダビデの幕屋の回復④】

ヤハウェの救いのご計画~アブラハム~イサク~ヤコブーイスラエル

イスラエルを選びの民として、ユダヤ民族に救い主メシアを王として送るというのがヤハウェのご計画。イェシュアはユダヤ人の王。

そのイェシュアが十字架につけられ死なれることによって救いが成就した。

ここで、よく考える必要がある。イェシュアが十字架につかれ救いが成就したのであれば、イェシュアを十字架につけたユダヤ人に感謝しないといけないのでは?

ところが、キリスト教会は感謝するどころかイェシュアを十字架につけたユダヤ人は「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」(マタイにしか記述がない)と言ったので全てののろいはユダヤ人が受けて当然だとして、逆に歴史的にユダヤ人を迫害してきたのだ。そして、再臨のメシア、イェシュアを迎えるのは霊的イスラエルであるクリスチャンでユダヤ人ではないと言い続けてきた。この歴史的矛盾を再考察したい。

ヤハウェは全人類の救いをアブラハムに託された。

創世記12:1-3

1 主はアブラムに仰せられた。

 「あなたは、

 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、

 わたしが示す地へ行きなさい。

2

 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、

 あなたを祝福し、

 あなたの名を大いなるものとしよう。

 あなたの名は祝福となる。

3

 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、

 あなたをのろう者をわたしはのろう。

 地上のすべての民族は、

 あなたによって祝福される。」

 「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

これがヤハウェの約束である。このアブラハム契約に基づき、イサク~ヤコブとその信仰は受け継がれ「イスラエル民族」がヤハウェの選びの民となる。そこからダビデ契約を経てダビデの子としてメシアなるイェシュアをイスラエルがユダヤ人の王として迎えることになる。しかし、肝心のそのイスラエルがイェシュアをメシアなる王として迎えることが出来ず十字架につけてしまう。そして、彼らユダヤ人はのろわれた民族となるのだ。

初代教会の使徒たち、ことにパウロはこの矛盾の葛藤の中にいた。

しかし、この矛盾の中にヤハウェのご計画の奥義があることをパウロは気づいたのだ。それが、ロマ書11章に明確に書かれてある。

 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。

 「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

(ロマ11:25-27)

この奥義をパウロが完全に悟り確信を持ったのは「エルサレム会議」の時ではないだろうか。

イェシュアの十字架と復活、聖霊降誕(ペンテコステ)を体験した使徒たちや、初期のユダヤ人クリスチャンたちは、救いが成就した!あとはユダヤ人がイェシュアを信じ受け入れれば救いは完全に達成され、自分たちの王であるメシアなるイェシュアが再臨され、王として世界を統治されると考えていた。それで、彼らはエルサレムのユダヤ人の会堂で福音を宣教していたが、その意に反してエルサレムの教会に対して激しい迫害が同胞のユダヤ人から起こったのだ。

使徒8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。

 その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

そこから、ピリポのサマリア伝道が始まり、異邦人宣教が展開して行くことになる。

使徒10章でペテロが異邦人宣教に召される。

11章ではそのペテロに対して、強い反発がユダヤ人クリスチャンの中に起こってくる。ここで、初めて異邦人教会である、アンティオケ教会が誕生する。

13章で、そのアンティオケ教会から異邦人宣教のためにバルナバとパウロが遣わされる。本格的な異邦人宣教の始まりである。パウロたちは、行く先々でユダヤ人に迫害されながらも異邦人宣教を進め、多くの異邦人が救われて行く。

そんな中で持たれるのが「エルサレム会議」である。

~エルサレム会議~

使徒15章

1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

2

そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

割礼を受けさせないで異邦人に福音を宣教すべきかどうか?と言う問題で教会内で激しい論争がが起こったのだ。彼らは、そもそも福音はユダヤ人のもので、異邦人の救いはユダヤ人の後で、というのが常識であったのだ。

彼らの考えは

 「地上のすべての民族は、

 あなたによって祝福される。」

と言うアブラハム契約に基づいている。常識的に考えればその通りである。

ペテロの15:7-11のメッセージにも彼らは沈黙するのみだったが、ここでヤコブのメッセージが異邦人宣教するための彼らのモチベーションを決定づけることになる。

13

ふたりが話し終えると、ヤコブがこう言った。「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。

14

神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。

15

預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。

16

 『この後、わたしは帰って来て、

 倒れたダビデの幕屋を建て直す。

 すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、

 それを元どおりにする。

17

 それは、残った人々、すなわち、

 わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、

 主を求めるようになるためである。

18

 大昔からこれらのことを知らせておられる主が、

 こう言われる。』

19

そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。

異邦人の完成のなる時、イスラエルはみな救われる。このことをパウロたちは悟ったのだ。

これは、アモス9章のみことばの成就であることを。

アモス9章

11 

  その日、わたしは

 ダビデの倒れている仮庵を起こし、

 その破れを繕い、その廃墟を復興し、

 昔の日のようにこれを建て直す。

12

 これは彼らが、エドムの残りの者と、

 わたしの名がつけられた

 すべての国々を手に入れるためだ。

 ――これをなされる主の御告げ――

13

 見よ。その日が来る。

 ――主の御告げ――

 その日には、耕す者が刈る者に近寄り、

 ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。

 山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、

 すべての丘もこれを流す。

14

 わたしは、

 わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。

 彼らは荒れた町々を建て直して住み、

 ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、

 果樹園を作って、その実を食べる。

15

 わたしは彼らを彼らの地に植える。

 彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、

 もう、引き抜かれることはない」と

 あなたの神、主は、仰せられる。

イスラエルの繁栄が元どおりにされるために、イスラエルが救われるためには、異邦人の完成が最優先であり、そのためには異邦人の教会に「ダビデの幕屋」が回復されなければならないということをパウロたちは悟ったのだ。

何を持ってパウロたちにこれほどまでに異邦人宣教に情熱を持たせたのか?

その動機は、同胞の民であるユダヤ人の救いのためであったのだ。

パウロはロマ書9章でこう告白している。

1

 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

2

私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

3

もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

4

彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。

5

父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。

「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」

これが、まさに彼らの異邦人宣教のモチベーションなのだ。

 

異邦人の教会に「ダビデの幕屋」が建て直される時。これが成就する時に、ヤハウェのイスラエルに対する救いの預言が成就する時なのだ。まさに、今がその時である。