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復活の信仰

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じるものは、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11:25)

 
 
キリスト教の信仰には、死んでいた者が生き返る「復活」、そして、決して死ぬことがない「永遠のいのち」があります。

 
 
私たちはイエスさまの言葉通り、この「復活」「永遠のいのち」を信じています。

 
 
そして、イスラエルの十二部族が絶えず抱いている希望、
彼らが昼も夜も熱心に神に仕えながら待ち望んでいる約束のものが、
「復活のいのち」であり「永遠のいのち」なのです。(cf.使徒の働き26章)

 
 
イエスさまによって罪赦され贖われた私たちにも、神様は同じ約束を与えてくださいました。
クリスチャンの信仰は復活の信仰です!

 
 
パウロは、もし復活がなければ、宣教は無意味なもの、キリスト教の信仰はまったく何の価値もないと言っています。
復活がなければ、私たちの信仰は、ただむなしいだけです。(cf.コリント人への手紙第一15:12-58)
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れなものです。」(Ⅰコリント15:19)

 
 
しかし、事実、イエスさまはよみがえられ、私たちにも「復活」の希望があります!

 
 


 
 

それでは、聖書の中で言われている、「死ぬ」「生きる」とはどういうことでしょうか。

 
 

創世記2:7
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

人はいのちの息である神の霊を吹きこまれて初めて、本当に生きたものとなりました。

 
 

エゼキエル37:9
そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いてこい。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」

 
 

エゼキエル37:14
「わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。」

 
 

詩篇19:7
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、
主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

 
 

詩篇23:3
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 
 

聖書の中では一貫して「死んだもの」=「神の霊が取り去られたもの」としています。
肉体的に生きていても、神様から離れて生きている人は皆、神様の目には「死んだもの」なのです。

 
 

詩篇の中で「死人は主をほめたたえることがない。」といわれている通りです。

 
 

肉体の死のことについては、イエスさまやパウロは「眠ったもの」と表現していますね。

 
 

この世のむなしい生き方によって「死んだ者」となるのではなく、
むしろキリストにあるものとして、「生ける者」の歩みをしましょう。

 
 


 
 

イザヤ書26章には不思議なことが書かれています。

 

「死人は生き返りません。死者の霊はよみがえりません。それゆえ、あなたは彼らを罰して滅ぼし、彼らについてすべての記憶を消し去られました。(イザヤ書26:14)」
「あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。覚めよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。(イザヤ書26:19)」

 
 

これは、どういう意味でしょうか。
死人は生き返るのでしょうか、生き返らないのでしょうか。

 
 

「死人」にも別の意味があります。

 
 
それは、主の「死人」です。

 
 
主に対して、本当にへりくだった者、従順な者、自我を捨てた者、主の奴隷を指します。

 
 

マタイの福音書10:39
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、
わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

 
 

「あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。覚めよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。(イザヤ書26:19)」

 
 
主の「死人」は生き返るのです。
神の霊が注がれたものが復活を体験します。
イエスさまのために自分のいのちを捨てるものが、まことのいのちをいただくのです。

 
 

マタイの福音書24:28
死体のある所には、はげたかが集まります。

この箇所で「はげたか」と訳されている言葉は、黙示録4:7や黙示録12:14に出てくる「大鷲」と同じ言葉です。
死体のあるところに、大鷲である聖霊さまが注がれ、エゼキエル書37章のように、死んだ骨が生き返るのです。

 
 

ヨハネの福音書5:24
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

 
 
主の前にへりくだり、聖霊さまにすべて明け渡しましょう。
主の御声を聞きましょう。聞く者は生きるのです!

 
 


 
 

ルカの福音書15章は有名な放蕩息子のたとえのストーリーです。

 
 
ここで、息子が帰ってきたときに、お父さんの言ったことは何だったでしょう。

 
 

ルカの福音書15:24
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。

この話は、創世記45章、46章で、ヤコブが、もうずっと死んでしまったとばかり思っていた、愛息子のヨセフと再会するシーンを連想します。

 
 
「父との関係の回復 = 死んでいたものが生き返ること」

 
 
神の霊を失い、神様から遠くはなれて歩んでいる人が、「死んだ者」でした。
しかし、天のお父さんはこの「死んだ者」のために絶えず心を痛め探し求めておられるのです。
だとしたら、私たちはこの世で、まだ神様を知らずに歩んでいる人たちに、この福音を伝えなければなりません。
神様と出会って、神様を知ること、父との関係の回復が「復活」であり、天にある大きな喜びだからです。

 
 

ヨハネ17:3
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

そればかりではありません。
神の選びの民であるイスラエル、ユダヤ人が再び主のもとに集められることが、「復活」であるとパウロが言っています。

 
 

ローマ11:15
ユダヤ人が捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

イスラエルの回復、長子の回復が死者の復活。

 
 
すべての民が天の父の元に帰ること、天のお父さんである神様と和解して、関係を回復すること。
それが、復活であり、永遠のいのちです。

 
 

ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは、御子を信じるものがひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 
 

ヨハネ4:14
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

 
 

ヨハネ5:24
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。

 
 

ヨハネ17:3
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

 
 

1ヨハネの手紙 5:11
そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 
 
神様との関係の回復が永遠のいのち、しかし、そのために絶対に欠かせないのがイエスさま。
イエスさまがおられなければ、そして、真理を悟らせる聖霊さまがおられなければ、誰一人父のもとに帰ることができません。

 
 
 
父・御子・御霊であられる神様、あなたの素晴らしい御名を褒め称えます。
私は以前は自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、約束の契約から程遠く、神もなくこの世にあって何の望みもないものでした。しかし、あなたと出会って、本当のいのちを与えられ、私は既に復活を体験しました。約束の御国を受け継ぐときまで、永遠のいのちであるあなたから離れずに、あなたのみことばに生きていきます。そして、まだあなたを知らずに生きている人々に、本当のいのちであるあなたの福音を宣べ伝えていきます。あなたの愛するイスラエルの回復のために祈り続けます。
復活の主であるイエスの御名によってお祈りします。アーメン