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光の子どもとして歩もう!〜聖書が示す光と闇について〜

創世記1章をみてみましょう。

1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
3 神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
4 神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

2節では、この地が茫漠で混沌としており、やみが非常に深かったことが分かります。
イザヤ8:22 地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放されたもの。

しかし、創世記の3節から、神様は、まず、光(אור:オゥル)があれ、と仰せられ、光とやみを区別されました。
そして、5節にあるように、光を昼、やみを夜と名付けられました。
すなわち、聖書のなかで「昼=光、夜=やみ」と考えることができます。

この、光とはなんでしょう。
ヨハネの福音書1章

1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。
7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

イエス・キリストは世の光としてこられ、私たちのうちにお住まいになりました。
私たちの心のやみを照らし、永遠のいのちを与えてくださるお方です。

先程の続きで、イザヤ書9章では

1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。
4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。
5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。
6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

主イエスは、混沌としたやみのなかに光とやみを区別するために、光として来られます。

イザヤ60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。

ヨハネの福音書8:12
イエスはまた彼らに語って言われた。

「わたしは、世の光です。私に従うものは、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

「やみ」とは混沌としたこの世界のことです。
神のいない世界では、何が正しくて、何が間違っているのかといった正しい「基準」が存在しません。
人々はそれぞれが自分の正義をもって歩んでいます。
ある人が正しいと思っていることでも、別の人には非常識になることもあるのです。
絶対的な基準がないので、人々は相対的で曖昧な基準でしか物事を判断できません。
このような混沌とした世界が「やみ」です。

私たちがイエスさまを私たちのうちにお迎えするときに、
絶対的な変わることのない「神のことばの基準」ができます。
聖書のみことばが私たちにとって必要な、揺るぐことのない絶対的基準です。

もう一度、創世記1章をみてみましょう。

14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。
15 また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。
16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。
17 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、
18 また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。

ここで出てくる「光る物」とは何でしょう。
はじめの「光」はイエスさまご自身のことでしたが、
ここで出てくる「光る物」はヘブライ語でמאור(マオゥル)といいます。
光を入れる器、ともしび皿、輝くもの、といった意味があります。

イエス・キリストを信じ、受け入れたものがこの「光る物」מאור(マオゥル)となるのです!

マタイ5:14
あなたがたは、世界の光です。
16 あなたがたの光を人々のまえで輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

イエスさまを信じ受け入れた私たちは、光を受けたので、今度はその光をこの地に解き放っていくものとなるのです!
それも、「昼(光)と夜(やみ)とを区別」するため、「しるしのため、季節のため、日のため、年のため」。
主の「時」を告げ知らせ、イエスが主であることを人々の前にしるし(証拠としての奇跡)をもって大胆にあかししていくのです!

昼も夜も絶え間なくこの光を解き放っていきます。
このやみが深い茫漠とした世の中にあって、絶えず光を照らし続けるには、絶え間ない祈りが必要です。
夜(やみ)のなかでは小さく見える光であっても、神さまは私たちに「光とやみとを区別する」ようにしてくださいました。

マタイの25章にもあるように、イエスさまは多くのたとえをもって終末の日、再臨の日について語られていますが、
主が再び来られるのは、「夜(やみ)」です。やみのなかに光が輝きのぼります。

Ⅰテサロニケ5章

1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

主が再び来られる再臨の日は、夜中(やみの時代)だといわれています。
7節にあるように「眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔う」のです。
夜や暗やみに属している者は、夜のやみのなかに霊的に眠った状態、この世に泥酔した状態になります。
光が来る直前に、やみはますます深まります。
しかし、主を迎える教会は絶えず目を覚まして祈り続ける群れです。
Ⅰテサロニケ5章では終わりの時代に私たちがどのように歩むべきか教えています。

16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

【考えてみよう】
いま、あなたは光の中を歩んでいますか?
イエス・キリストを光として信じ受け入れていますか?
また、信じている人でも、心のうちに一点のくもりや陰、暗やみの部分が残っていませんか?

あなたが本当に光を受け入れたら、すべての暗やみが照らしだされて、
心の奥底に隠れている罪の問題や悪い習慣、隠し事がすべて暴露されます。
何一つ隠し通せるものはありません。

もしも心に暗やみの部分が残っているとしたらどうなるのでしょう。
聖書ははっきりといっています。
その者は永遠の暗やみである地獄に閉じ込められると。(Ⅱペテロ2:17, ユダ1-6,13 参照)

完全な光の中を歩むものが、完全な光の国、天国に行き、
やみのなかを歩むものは、完全な真っ暗闇の国、地獄に行くのです。
これが真実です。

いま一度、自分の心を吟味してみてください。
悔い改めて、主に立ち返りましょう。
イエス・キリストを私の主として信じ受け入れ、
イエスさまを愛して、光の子として歩みましょう!

エペソ5:8
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は主にあって、光となりました。
光の子どもらしく歩みなさい。