メニュー

イスラエルのために祈る! ローマ11章の奥義 【ダビデの幕屋の回復⑤】

ローマ人への手紙11章の解き明かし

 

ロマ11:1

すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。

 

~ヤハウェはイスラエルを絶対に捨てられない~

 

パウロはヤハウェがご自分の民イスラエルを絶対に捨てられないことの理由をここで語っています。

一つ目は、アブラハムの子孫でベニヤミン族の生粋のイスラエルである者が、さらに、クリスチャンを迫害し殺そうとしてきた自分がヤハウェに捨てられなかったという証です。そのような者がヤハウェに用いられるならば、イスラエルも用いられるはずだということです。

 

二つ目はエリヤに対するヤハウェのことばです。

 

ロマ11:2-3

神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。

「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」

 

エリヤはイスラエル王朝の時代の中で最も不信仰な時代に預言者として召されました。アハブ王はイゼベルのいいなりとなり、イスラエルの神ヤハウェをないがしろにし、祭壇を壊し公然と偶像崇拝し預言者たちを殺しました。そんな中でエリヤはイゼベルの遣わしたバールの預言者450人と戦い、完全に勝利します。しかし、エリヤはイゼベルに激しく憎まれ、さらに、ヤハウェに仕える預言者たちがみな殺され、祭壇も壊されます。彼は疲れ果て恐れが生じ、死にたいと願うまでになります。

Ⅰ歴代19:4

自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」

 

エリヤは落胆してこう言うのです。10節「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」

 

その時にヤハウェの声が聞こえました。

18節

「しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」

 

ロマ11:4

ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」

 

この御声がエリヤに再び力を与えました。

 

ロマ11:5

それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。

 

エリヤの時代にバアルにひざをかがめていない7000人がいたように、イスラエルは決して滅びないということです。ユダヤ人は歴史的に徹底的に迫害され殺されてきたにも関わらず、国は失いましたが滅びることなく生き残って来ました。それでは、イスラエルはどのようにして救われるのでしょう?誰がイスラエルを救うのでしょう?

 

初めに異邦人に福音を伝えたのは全てユダヤ人でした。全く聖書の信仰の土台のない私たち日本人も元を辿ればユダヤ人であるパウロたちによって救いを受けたのです。そして、今は、私たちがイスラエルのように、イスラエルが異邦人のように思えるようになったのです。

エルサレムには福音が全くなくなりました。イエスさまの国イスラエルにイエスさまを信じる人がいないのです。ユダヤ人たちは、新約聖書をのろいと考えクリスチャンということばも使いません。イエスさまをメシヤと信じる人のことを、メシヤニック・ジューと呼びます。彼らは自分たちを歴史的に迫害し虐殺して来たのはヨーロッパのクリスチャンであると考えていますので、具体的にユダヤ人を救う使命があるのは東洋人であり、しかも、日本人であると私は思います(ユダヤ人は日本人に対してとても好意的です)。

 

イスラエルは回復され救われなければなりません。なぜなら、ヤハウェはイスラエルの神だからです。ヤハウェが直接選んだ長子を決して見捨てることは出来ません。イスラエルの回復と救いがなければ世界宣教の完成はないのです。私たちがイスラエルの回復と救いのために祈る時に、ヤハウェは私たちに御顔を向けられ祝福を与えられます。

 

民数記6:23-27

「アロンとその子らに告げて言え。

あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、

あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

 

ロマ11:6

もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

 

イスラエルが救いを受けられない理由がここに述べられています。救いは恵みによるのです。行ないによるのではありません。

 

ロマ11:7

では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。

 

救い(メシヤ)を追い求めて来たイスラエルはそれを獲得出来ず、かえって、メシヤのメの字も知らなかった者が救いを受けました。

 

ロマ11:8

こう書かれているとおりです。

「神は、彼らに鈍い心と

見えない目と聞こえない耳を与えられた。

今日に至るまで。」

 

ヤハウェがイスラエルにかたくなな心を与えたのです。異邦人の完成のためにです(この話は後編で扱います)。

 

詩篇69:22-23

彼らの前の食卓はわなとなれ。

彼らが栄えるときには、それが落とし穴となれ。

彼らの目は暗くなって、見えなくなれ。

彼らの腰をいつもよろけさせてください。

 

ダビデの詩篇を引用して、ヤハウェがイスラエルにかたくなな心を与えたことを説明しています。

 

ロマ11:9-10

ダビデもこう言います。

「彼らの食卓は、彼らにとって

わなとなり、網となり、

つまずきとなり、報いとなれ。

その目はくらんで見えなくなり、

その背はいつまでもかがんでおれ。」

 

どうしてイスラエルのかたくなさが異邦人の救いになったのか?、また、どうして、歴史的にあれだけ徹底的に迫害され虐殺され、国を失いながらも、ユダヤ人たちは2000年以上もの間生きながらえて来たのか?いや、逆にいつの時代も全世界に影響を与え続けて来たのか?

宗教ーイエス-キリスト教-ユダヤ人、思想ーマルクス-共産主義-ユダヤ人、心理学ーフロイト-ユダヤ人、物理学ーアインシュタインーユダヤ人、数え上げると切りがありません。

 

しかし、サタンは人々に覆いをかけてイスラエルを、イスラエルの神を見せないようにして来たのです。そして、イスラエルのためになぜ祈らなければならないのかの奥義を知り、イスラエルを神の祝福の基として、イスラエルにヴィジョンを持つ教会も少ないのです。

 

ハッキリ言います!!

イスラエルの回復と救いのために祈り働く者は、教会は民族、国家は必ず祝福されます!

イスラエルの救い抜きで、異邦人だけが救いを受けることは絶対にありません。ヤハウェは異邦人を救うためにイスラエルをかたくなにさせ、つまづかせました。これは、選びです。ヤハウェは選ばれた者を必ず回復させます。堕落した者は必ず元の立場へと回復されます。

なぜなら、ヤハウェなる神は、全知全能なる愛なるお方だからです。

ロマ11:11

 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。

イスラエルがつまづいたのは、彼らが倒れるためではありません。彼らが倒れることによって、異邦人がイエスさまに倒され救いを受けるようになったのです。それは、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで倒されて行きました。

パウロは初めから異邦人伝道をしたのではありません。初めは、ユダヤ人の会堂でユダヤ人伝道をしていたのです。しかし、ユダヤ人の心はかたくなでした。反対に、異邦人の飢え渇きは半端がありませんでした。

使徒13:46-47

46

そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。

47

なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。

 『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。

 あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」

48

異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。

私たちは、イスラエルに妬みを起こさせるほどに、ただひたすらメシヤなるイエスを愛し、ともに十字架を負いイエスを証して生きて行きたいのです。ヤハウェなる神の御名を叫び求めて生きたいのです。イスラエルが妬むほどにです。

ロマ11:12

もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

イスラエルのかたくなさとつまづきが異邦人に救いを受けさせ、祝福と天にある富を得させたなら、イスラエルの救いと完成はどれほどのものでしょう!

実はこのロマ11章が聖書の中の最高のクライマックスなのです。

ロマ11:15

もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

イスラエルの失敗が私たちに救いをもたらしました。私たちも、自分の失敗で挫折しないでください。イスラエルの失敗が異邦人の救いとなったように、皆さんの失敗と挫折も神様から祝福と変えられるチャンスであり、他の人々に救いをもたらすことに繋がって行くのです。

ロマ11:16

初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。

パンが聖いので粉が聖いのではなく、粉(初物)が聖いのでパンが聖いのです。

イスラエルが聖い民として選ばれたので、その枝である異能人である私たちも聖いのです。

ロマ11:17

もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

オリーブの木とは「イスラエル」のことです。野生のオリーブの木とは「異邦人」のこです。オリーブの枝(イスラエル)が折られたことが野生のオリーブ(異邦人)が継ぎ合わされることとなったのです。イスラエルが折られることがなかったら、異邦人が継ぎ合わされることはなかったのです。これが奥義です。しかし、この奥義が歴史の中でいつの間にか隠されて埋れてしまって来たのです。異邦人は本物のオリーブの木であるイスラエルを完全に忘れてしまい、イスラエル抜きで自分たちが救いの恵みを受けたと考えるようになりました。イエスを信じる多くの人がそう信じています。

この17節でパウロは、野生のオリーブの枝が本物のオリーブの枝に継ぎ合わされて、本物のオリーブの木の豊かな養分をともに受けるようになったと言っています。では、野生のオリーブの根はどこにあるのでしょう?それは、本物のオリーブの木です。根は「イエスキリスト」であり、「神のことば」聖書であり、福音です。本物のオリーブの枝(イスラエル)が折られなかったなら、野生のオリーブの枝(異邦人)がどうして恵みを受けて救われることが出来たでしょう。オリーブの枝(イスラエル)が折られたことが、野生のオリーブの木(異邦人)に救いをもたらしました。ですから、私たちは高慢になってはいけないのです。

ロマ11:18

あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

根(イスラエル)があるので、枝(異邦人)があるのです。根が聖いので枝も聖いのです。逆ではありません。「根」はイエスです。そして、その「枝」はイスラエルです。その枝であるイスラエルの失敗によって救いを得るようになった全ての異邦人は、本物のオリーブ(イエス)の枝はイスラエルであることを忘れてはいけません。自分たちが霊的イスラエルだ、と言って誇ってはいけないのです。

では、神様はイスラエルを見捨てられたのでしょうか?

ロマ11:19

枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。

イスラエルの失敗はイスラエルが不信仰を犯したからでしょうか?イスラエルが不信仰で過ちを犯したことは事実です。しかし、イスラエルの不信仰は異邦人に救いをもたらすための犠牲であったとしたらどうでしょう?

イスラエルはイエスと運命共同体です。イエスは全人類の救いのためのいけにえの犠牲の羊として十字架につかれました。同じようにイスラエルも全ての異邦人の救いのためのいけにえの犠牲の羊となったのです。

私たちは「ユダヤ人が迫害され虐殺され、全世界に散らさ、れさまようになったのは、彼らがメシヤであるイエスを十字架につけて殺したからだ」という考えを、そのような神学を改めなければなりません。その真理は、イスラエルがイエスをメシヤとして受け入れた時に彼らに明らかにされることでしょう。今は、私たちは「イスラエルは私たちのために犠牲になった」という考えに神学を改めなければなりません。

私たちはイスラエルに感謝してイスラエルのためにとりなし祈らなければならないのです。

イスラエルは2000年以上の間、全世界をさまよい、いつの時代も何処に行っても迫害され続けて来ました。ホロコーストでは600万人ものユダヤ人が殺されました。これほどまでに犠牲にならなければならないほどの大きな罪が一体何処にあるのでしょう?これを歴史的にどのように説明できますか?答えは、全ての異邦人に救いをもたらすためです。

ユダヤ人は今でもメシヤが来られるのを待ち望んでいます。しかし、メシヤなるイエスを再びお迎えするには条件があるのです。それは「異邦人の完成のなる時まで」ということです。(異邦人の完成の意味については後ほど詳しく説明します)。

イスラエルは異邦人の完成を待っているのです!

異邦人が完成し、イスラエルが救われる時に主の救いの御業が成就します。イスラエルは異邦人の救いが完成するまで、私たちの身代わりとなって苦しみを受けながら待っているのです。これが、神様がアブラハムから興された神様の特別な選びの民であるイスラエルの真実なのです。

イスラエルの不信仰により異邦人が救いを受けたとすれば、イスラエルが回復され救われた時、どれほどの祝福が全世界にもたらされることでしょう。その祝福とは、みこころが天でなされるように、地でなされるようになるということです。そして、愛おしい花婿なるイエスを迎えるということです。主イエスの再臨をあらわします。

ですから、私たちは「イスラエルのために祈らなければならない」のです。「イスラエルを愛さなければならない」のです。

マタイ24:32

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

全世界に散らされているユダヤ人は一千万人以上いると言われています。そのうちアメリカに六百万人、ニューヨークに三百万人住んでいると言われています。そして、東欧、ロシアなど全世界に散らされているユダヤ人が、今、イスラエルの地に戻って来ているのです。

最近、イスラエルの約70%の家庭に新約聖書が置かれているというデータが出されました。少し前には新約聖書を持ったらのろわれるといわれていたのにです!しかも、その中で約50%の人が新約聖書を読んでいるというのです。

 

イスラエルである「いちじくの木の枝」が柔らかになって、葉が出て来ているのです。終わりの日、主イエスの再臨の時が近づいています!

マタイ24:33

そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

今、イエスが戸口まで来ている時代に入っています!

ロマ11:20-21

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。

もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

神様のみこころの中心はイスラエルにあります。神様はイスラエルを惜しんでおられるのです。神様は全ての異邦人を救うためにイスラエルを犠牲にされました。ひとり子イエスを犠牲にされたのと同じです。神様の心はイスラエルのために痛んでいるのです。イスラエルは「神の心臓」なのです。

祈りの中で、その神様のみこころがいつも私の霊に迫って来ます。イスラエルの回復されることを祈り求めることが、祈りの家の最重要テーマです。

このことをぜひ覚えてください。

「イスラエルは自分の力では回復することが出来ない」ということです。異邦人である私たちはイスラエルを通して救いを得ることができました。今度は、同じように私たちを通してイスラエルが救いを受ける番なのです。

ロマ11:22-23

見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

神様が再びイスラエルを継ぎ合わせてくださる時が来ています。イスラエルがイエスをメシヤとして信じ迎える時です。イスラエルのために祈ることは異邦人の救いと切っても切り離せません。イスラエルの回復なしに全世界の救いの完成はあり得ません。

私たちは、この啓示を全世界に告げ知らせなければなりません。

エレミヤ31:10

 諸国の民よ。主のことばを聞け。

 遠くの島々に告げ知らせて言え。

 「イスラエルを散らした者がこれを集め、

 牧者が群れを飼うように、これを守る」と。

ロマ11:24

もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

異邦人の完成が成就するならば、イスラエルの救いはもっと簡単に成就するでしょう。異邦人の救いはイスラエルを通して、イスラエルの救いは異邦人を通して成就しますあす。

エペソ2:11-19

11

ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、

12

そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

13

しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

14

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、

15

ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、

16

また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

17

それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

18

私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

19

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

20

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

21

この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、

22

このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

敵意(サタン)は十字架によって葬り去られたのです(創世記3:15)。

イスラエルと異邦人という二つのものが、イエスにより「新しいひとりの人」として作り上げられ平和が実現し同じ国民として、家族として御国に入る時が来ているのです。

22節 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

あなたがた(イスラエルと異邦人)がともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

「神の御住まい」とは「ヤハウェがいこう場所」のことです。

イザヤ66:1

 主はこう仰せられる。

 「天はわたしの王座、地はわたしの足台。

 わたしのために、あなたがたの建てる家は、

 いったいどこにあるのか。

 わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。

「ヤハウェのいこいの場所」とはイスラエル(ユダヤ人)と異邦人(クリスチャン)が「新しいひとりの人」となり礼拝するところのことです。ヤハウェが本当にいこわれる教会。それが、イエスの願われる主の聖なる宮である「祈りの家」なる教会、ダビデの幕屋なのです。

サタンはイエスの再臨を止めるためにイスラエルを滅ぼそうとしています。

エゼキエル38:9

あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。

「ゴグ」とはロシアのことです。今、中東に危機が迫っています。私たちはイスラエルの守りのため祈らなければなりません。祈りの家の使命です。

ロマ11:25

 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

これは奥義です。

パウロは「イスラエルの頑なさと、その不信仰には奥義がある」ということを悟りました。その奥義とは、イスラエル人の一部が頑なになったのは「異邦人の完成のなる時まで」であるということです。神様は全ての異邦人の救いのためにイスラエルを頑なにして、イエスを十字架につけ、福音を否定させてきたということです。イスラエルは2000年経った今でもまだ、完全にイエスをメシヤとして信じ受け入れていません。なぜでしょう?異邦人の完成がまだなされていないからです。

「異邦人の完成」とはどういう意味でしょう?

ギリシャ語で「完成」を表すことばは πλ ρωμα プレローマです。これは「数が満ちる」と訳すことも出来ますが、「充満」「成熟」という意味もあります。別の箇所では

エペソ3:19

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

というように、神ご自身の「満ち満ちた」と訳されています。

全ての未伝道部族に福音を伝えることも、もちろん「異邦人の完成」です。

マタイ22:44

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

そして、このことは

マタイ23:39とも連動しています。

あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」

イスラエルが「バルー・ハバー・ベシェイム・アドナイ」『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とイエスを告白することとです。

しかし、それだけでは十分ではありません。イスラエル人と異邦人が「神ご自身の満ち満ちたさまにまで、」十分に成熟している必要があります。

私たちは、祈りの生活の中でエペソ4:13にあるように「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」

私たちは「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」必要があります。そうでないと真実に「新しいひとりの人」は完成しません。

イスラエルも未成熟です。私たちも未成熟です。しかし、イスラエルは私たちをキリストの成熟へと導く使命を担って来ました(ガラテヤ3:24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです)。

そこを土台として私たちの救いと成熟が建てられています。神様は全ての異邦人を救うためイスラエルを土台としてきたのです。私たちもまた、家族の救いのために土台とならなければなりません。

もし、イスラエルの失敗がなかったら、私たちの救いはなかったでしょう。イスラエルが私たちのために犠牲になったのなら、今度は私たちがイスラエルのために犠牲になる番です。

神様は異邦人のために永遠にイスラエルを犠牲にしたままにはされません。必ず回復され救われます。

ロマ11:26-27

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。

 「救う者がシオンから出て、

 ヤコブから不敬虔を取り払う。

   これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。

 それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

イスラエルは必ずみな救われます。いつでしょう?今です!

今がその時、カイロスです。いちじくの木の枝が柔らかになって来ています!

ロマ11:28

彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。

イスラエルはイエスと福音に敵対して来ましたが神様は彼らをまさに今、回復させ救おうとされています。

ロマ11:29-30

神の賜物と召命とは変わることがありません。

ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

パウロはユダヤ人に福音を伝えましたが多くのユダヤ人は頑なでした。旧約の時代から不従順であったようにです。それでパウロは異邦人伝道へと向かいました。しかし、喜んで福音を受け入れイエスを信じる異邦人を見ながらもパウロの心は痛んでいました。同胞のユダヤ人が救いを受けていないことに対してです。

しかし、パウロは奥義を知りました。ユダヤ人の不従順は異邦人の救いのためであったのだ!ということです。神様の愛はどんなに奥深いのでしょう。私たちのためにそのひとり子さえも惜しまずに死に渡される父の愛がどれほど大きく深いのかを私たちは知らなければなりません。

ロマ11:31-32

彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。

なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

救いの完成は私で成就ではありません。私たちが救われたのは、イスラエルと異邦人の関係と全く同じです。私たちが救いに選ばれたのは、私たちを通して家族全体を救うためです。日本がなぜ守られて祝福されているのでしょう?それは日本を通して全世界に福音を伝えその祝福をもたらすためにです。そして、全ての異邦人に福音は宣べ伝えられて、イスラエルが救われるのです。

ロマ11:33

 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

ロマ書で個人の救いから話し始めたパウロは、大きな葛藤の中、矛盾を抱えていました。それは、神様はなぜ異邦人を救われながら、瞳のように愛しておられるイスラエルを失敗させたのか?ということです。

パウロはこう言い切っています。

ロマ9:1-3

1

 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

2

私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

3

もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

しかし、彼は奥義は悟ったのです。

「神様がイスラエルを捨てられたのは、全ての異邦人に救いを受けさせるためであり、さらに、それが最終的にイスラエルを救う唯一の方法である」ということを。

それは、まさに、父なる神様が子であるイエスさまを十字架につけ捨てられたと同じことです。

ここに愛があります。

ああ(ギリシャ語では Ω オメガ と表記されています)、神様の愛はなんと深く広いのでしょう!

パウロは神様の本当のみこころを知ったのです。

信仰とは「神様のみこころを知ること」です。神様のみこころを知らなければ救いを受けたとは言えません。この神様の愛を知らなければ私は救われたとは言えないのです。

結論

神様がイスラエルを捨てられたのは彼らの不信仰の故ではなく、異邦人をも愛しているからです。そのためにイスラエルを犠牲のいけにえとし、異邦人の完成のなる時まで頑なにされ犠牲にされて来ました。イスラエルが失敗し、そのことが異邦人の救いとなり祝福となったのなら、イスラエルの回復と救いはどれほどの祝福の時となるでしょうか。

ユダヤ人はユダヤ人であるというだけで迫害され拷問を受け虐殺され苦しみに会って来ました。それは私たちの救いのためであったのです。

イスラエルの苦難は異邦人を救うための神様の摂理です。異邦人伝道へと召されたユダヤ人であるパウロはその奥義を知ったのです。

ロマ11:34-36

34

なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

35

また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

36

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

この34節のみことばはイザヤ40:13の引用です。

イザヤ40:12-14

12

   だれが、手のひらで水を量り、

 手の幅で天を推し量り、

 地のちりを枡に盛り、

 山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。

13

 だれが主の霊を推し量り、

 主の顧問として教えたのか。

14

 主はだれと相談して悟りを得られたのか。

 だれが公正の道筋を主に教えて、

 知識を授け、英知の道を知らせたのか。

この奥義を知らされた私たちは、何をすべきでしょうか?

異邦人の完成、キリストの花嫁としての成熟を目指すべきです。教会を「祈りの家」として花嫁である私たちは、ひたすら、24時間、365日、花婿なるイエスさまを待ち望みつつ祈るのです。それが「祈りの家」の使命です。そして、十字架につけられたイエスを仰ぎ見て、私たちのために犠牲になったイスラエルの回復と救いのために祈るのです。それが、本当の意味での「ダビデの幕屋の回復」であり、「祈りの家を建て上げる」目的なのです。