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あなたは何によって、あなた自身の人生を建て上げるのですか?

私たちは人生のなかで、時に失敗や挫折感を味わうことがあります。
この先どのように進んでいったら良いのか、何を土台としていけば良いのだろうかと、立ち止まって考えます。
試練にあった時、乗り越えていく力はどこにあるのでしょうか。

きょうは聖書の中から、その答えを探っていきましょう。

コリント人への手紙第一3章9〜17節

9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりません。
11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
12 もし、誰かがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
14 もし誰かの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
15 もし誰かの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は火の中をくぐるようにして助かります。
16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
17 もし、誰かが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

これは、キリストの使徒パウロから、コリントの教会にあてて書かれた手紙の一部です。

イエス・キリストを主として信じるクリスチャンはその人生の土台がイエス・キリストになります。
そして、その上に家を建てていきます。

この家、神の神殿は、私たち自身、わたしたちの人生そのもの、また神の神殿である教会ですね。

しかし、ここでパウロは「どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりません。」と警告しています。

12 もし、誰かがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この日がその力で各人の働きの真価をためすからです。
14 もし誰かの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
15 もし誰かの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は日の中をくぐるようにして助かります。

「金、銀、宝石、木、草、わら」
あなたは何によって、あなた自身を建て上げていきますか?





パウロはここではどれが正解かは述べていません。
それぞれが、注意する必要があるのです。

このテキストだけ読むと、火で焼けないもの、と考えることもできるかもしれません。
金や銀、宝石でしょうか。

金や銀、宝石で家を建てることだとすれば、具体的にどうすればよいのでしょう。

今回は「金、銀、宝石、木、草、わら」がそれぞれ何を指しているのか、考えてみましょう。





「金、銀、宝石」

聖書全体を通して、「金、銀、宝石」といったものは、「この世の富や栄光」を象徴しているといえます。

「金、銀、宝石」は主への捧げ物となる一方、偶像崇拝にも用いられたり、この世の富の惑わしとなっています。
この世の貨幣経済、お金や地位、名誉よりももっと大切なものがあることを聖書は教えています。

いくつか聖書箇所を見てみましょう。

その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神を崇める。(←偶像礼拝ですね)(ダニエル11:38)

自分のために金銀を非常に多く増やしてはならない。(申命記17:17)

あなたの御口の教えは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。(詩篇119:72)

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒3:6)

他にもたくさんの箇所がありますが、次の聖書箇所を見れば、金銀が火で焼かれないという思い込みは間違いであることが分かるでしょう。

あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。(ヤコブ5:3)

 

「木」

ここで「木」と訳されている言葉は原語のギリシャ語ではクシュロン(ξὐλον)で、この言葉は聖書の中では特別な使われ方をしています。
聖書の中によく出てくるいちじくの木やぶどうの木、といった普通の木では使われない言葉です。

私たちの父祖の神は、あなたがたが十字架(クシュロン)にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。(使徒の働き5:30)

私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。
人々はこの方を木(クシュロン)にかけて殺しました。(使徒の働き10:39)

キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。
なぜなら、「木(クシュロン)にかけられる者はすべて呪われたものである」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)

また、黙示録では「いのちの木」でこの「クシュロン」という言葉が出てきます。
「木にかけられる者はすべて呪われたものである」とは申命記21:23の引用で、
ヘブライ語ではこの木は「エツ(אצ)」という言葉です。
そして、創世記2章に出てくる「いのちの木」、「善悪の知識の木」がそれぞれ「エツ(אצ)」です。

「エツ(אצ)」もまた、普通の木では用いない言葉で、特別な意味を持った木です。
ぜひ調べてみてください。

 

「草」

新約聖書のなかでこの言葉と同じ原語が使われている箇所を調べると、このような箇所があります。

富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。
なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去っていくからです。
太陽が熱風を伴って上ってくると、草を枯らしてしまいます。
すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。
同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えていくのです。(ヤコブ1:10-11)

「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばはとこしえに変わることがない。」(Ⅰペテロ1:24-25)

 

「わら」

新約聖書のなかでこの言葉はここ一箇所しか出てきません。旧約聖書のなかで「わら」がどのような場面で用いられるでしょうか。「わら」は家畜のエサであったり、イスラエルの民がエジプトの苦役時代に作らされていたレンガの材料にもなっていました。

 

まとめ

私たちがその真価をためす火をくぐり抜けて、その試練を乗り越えていくために、私たちは何によって神の神殿を建て上げていくべきでしょうか。

「金、銀、宝石、木、草、わら」

この中で、大事なのは「木」だと思います。

イエスさまの十字架、十字架の贖いだけが、
私たちを罪から救い、天の父の御国へと引き入れてくださる唯一の希望です!